ある晴れた日〜日常と非日常〜





食事は闘いだ。
テーブルの上は戦場だ。
ナイフとフォークとスプーンは武器なのだ・・・・・・・!

秋山瑞人著・「無銭飲食列伝」より抜粋





発端は陸軍将校と海軍将校のつまらぬ口論であった。
カレーにあうのは生卵かソースか・・・そういった内容であったらしい。
口論は遂に掴みあいになり、レフェリーによる
「あなた達の論じている事は、 食前にコーヒーを飲むのが最良か、食後に酒を飲むのが最上かという内容である」
という訳の分からない説得も虚しく、正規軍全体を巻き込んだ大食い勝負にまで発展した。
隊員達は最初はあまり乗り気ではなかったのだが、 優勝者には常識から外れない程度の願いを一つ叶えるというお触れが出た瞬間、 食堂は大規模な戦場予定地と化した。
カップラーメン1年分や上級将校専用の贅沢個室、 バイクの部品一式やコンピューターのジャンクパーツなどなど・・ ・それぞれの野望を胸に抱き、兵士達は食堂の片隅に 置かれた受付BOXに、参加希望用の書類を放り込んだ。
2日が経過し、決戦の日がやってきた。

「マルコさん?」
「ああ、フィオか」
ここは第3食堂だ。 現在お祭りが進行している第1食堂と第2食堂では、普通の食事ができないため、 大会に参加しない人間はこちらで食事を摂る事になっている。
己の欲望を叶えんとする冒険者達と、 物見高い野次馬連中が2つの食堂に集結しているせいか、昼食時だというのに空いている席が多い。
「フィオは参加しないのか?」
「人は多いのは苦手ですし・・・それに」
フィオはそこで一度言葉を切る。
「それに勝ったとしても自分の欲しいものは決して手に入りませんから・・・」
自嘲混じりの苦笑を浮かべながらフィオは言う。
その言葉で、マルコはフィオの複雑な出自を思い出す。家という呪縛。手に出来ない自由。
気まずい沈黙が二人を包み込む。

「やはりターマさんも参加するんスか」
「当たりめぇよ。そういうトレバーこそ景品に釣られたクチだろうが」
「当然っスよ。ジャンクものとはいえ塵も積もればは馬鹿にならないっス」
ごく普通の会話。朗らかな笑顔。表面上だけは。
まず双方とも目が笑っていない。 次に二人とも格闘戦にいつ突入してもいいように全身の力を抜いている。
トドメに彼らから放たれるオーラは限りなくドス黒かった。
とはいえ、この状況はこの第1食堂全体に言えることだ。 誰もが「常識から外れない程度の好きな願い」を手にせんと戦準備をしている。
あまりの雰囲気に耐え切れず、軽い気持ちで参加してきた新兵5人がリタイアを申し出る。
戦場に次々と、明らかにおかしい量の料理が運ばれてきた。戦争が始まるまであと10分。

会議室の机に二人の男が寸分違わぬ格好で突っ伏している。
彼らは手順を誤った。
二人は元帥に対し、この大食い大会の開催の許可を求めた。
許可はあっさりと下りた。ただし条件付きで。
「最低限の警備を残すなら許可する。ただしかかった費用は二人が自費で負担するように」
前者は全然問題ない。問題があるのは後者だ。
自腹を切る、野獣の如き荒くれ兵士達百数十名分の食糧費を。
ここにきてようやく二人は我にかえった。
彼らは手順を誤った。
既に参加希望は受付始め、あまつさえ好きな願いを云々という話まで吹聴してまわっている。
・・・今にして思うと実に頭の悪い行動だ。あの時の自分達はどうかしていたらしい。
いっそ元帥にこの話を持ち掛けなければ、現実を直視せずにいい夢を見続けられたのかもしれない。
穴があったら入りたいという言葉があるが、この人のいない会議室はまさしく穴であった。
もう後に引くことはできない。
明日とんでもない金額が消えるであろう、通帳に思いを馳せると同時に、 二人はカミさんへの言い訳を考え始めていた。

嗚呼、山と積まれた料理の数々はどうだ。
それを見つめる兵士達の瞳はなんとしたことか。
既に彼らの表情は男前の領域を超越し、 明鏡止水の心得を持つ武士<もののふ>のそれへと変化しつつある。
殺気や限りなく黒いブラックユーモア混じりの雑談が止み、嵐の前触れとも言える静けさが訪れる。
食堂に更なる緊張感が高まっていく。戦争が始まるまであと2分。

「あの・・・マルコさん」
フィオが控えめな声ををかけてきた。
「ん?」
「すみません、わざわざ気を遣わせてしまったようで・・・」
「いや、俺のほうこそ妙な事を思い出させてすまない」
再び沈黙。

食堂の後部にある白板。そこにいつも書かれている「今日の定食メニュー」の文字は消され、 今現在そこには参加者の名前と、オッズがびっしりと書き込まれている。
エリは基本的にギャンブルや賭け事はあまりしない性質である。
仲間同士の遊びならともかく、胴元が確実に儲かるようになっているシステムが気に食わないのだ。
では、確実に勝てる勝負は嫌いかというとそうではない。
静まり返っている食堂で彼女は結果を静かに待つ。タイマーの高らかな電子音が鳴り響く。 戦争が始まろうとしている。

「マルコさん」
再びの沈黙を破ったのはフィオ。
「何だ?」
少し躊躇ってからフィオは切り出す。
「午後からお仕事の予定はありますか?」
「・・・・いや、午後からは非番だ」
「だったら私の部屋に来てお茶でもしませんか?」
マルコはしばらく考える素振りを見せる。
「じゃあせっかくだからご馳走になろうか」
その言葉を聞いたフィオは顔をほころばせた。いつもの明るい笑顔だ。

制限時間は60分間。 常人が見ればそれだけでお腹が一杯になりそうな料理の山が皿に小分けされており、 種類を問わず空けた皿の数をカウントする。空けた皿の数が多い者が勝者だ。
種類を問わず、となると当然というか何というか、 量の少ない種類の料理や腹に負担の少なそうな料理に人間が殺到する。
つまりTボーンステーキを15皿とパスタ15皿ならどちらの方がマシであるか、という話だ。 どちらにせよ何かが間違ってる感は否めないが。
発生する押し合い、連鎖するドミノ倒し。そこを始点とする乱闘。
危機管理能力を持つ者はそれを回避し、別の料理を回収しにいったり、 巧みにすり抜けて皿をかっさらっていくが、そうでない者はたちまち巻き込まれていく。
この戦場で生き残るためには、力強くあらねばならないし、同時にクレバーでなければならない。
だが、狡知も過ぎると死を招く。
ボブは誰も見ていないと思った。あちらこちらで乱闘が発生しているし、 皆食うのに夢中であるし、周辺の戦士は食糧の補充に出払っている。
だから隣人の空けた皿を自分の所に少しだけ頂戴しようとした。
その瞬間、視界に何かの影がよぎった。それがその日彼が認識した最後の光景であった。
監視者。ソフィア教官とメグ教官である。
彼女達は明らかにルールを破ろうとしている不届き者に、 漏れなく容赦の無い鮮やかな蹴りによる粛清を下していった。しかもハイヒール着用だ。
蹴り飛ばされた者は多数の巻き添えを出しながらすっ飛んでいき、廊下へと排出される。
そこで待ち構えていた子飼いの部下、相川姉妹が「卑怯者」「外道」 「負け犬」「俺に触るとヤケドするぜ」「たべられません」などと書かれたステッカーを、 とても幸せそうな表情をしながらペタペタと貼り付けていく。
ステッカーのテープ部分は強力な接着力を持つ。下手に貼られるとスキンヘッド候補生になれるという、 ありがたくないシロモノだ。
これのせいで泣きをみた者が数人存在したらしいが、それはまた後々の物語である。
そうした人間に構わず、大乱闘大会寸前の壮絶な死闘は続く。

会議室で突っ伏している男の片方が、もう片方の男に声をかけた。
「セイヤー・・・」
「何だ?フリッツ」
色々言い訳を模索したものの、シミュレートした結果が全てカタストロフであるという事実に絶望し、 人生について色々悩んでいたセイヤー海軍将校は半ば投げやり気味に返事を寄越した。
「今日は飲み行こう・・・朝まで」
もしかしたら向こうも立場は同じなのかもしれない。 普段毛嫌いしていた陸軍将校に限りない親近感が沸いた。
「ああ、そうしよう。一緒に飲み明かそうか・・・」
こうして数奇な運命の導きの末、一つの友情が生まれた。

死合い開始から30分が経過しようとしている。
あちらこちらに戦死者の死体が転がっていたが、ターマはそれらを無視して新しい皿を確保すべく、 突進していった。
ターマは普段は普通の人間とそう変わりのない食事量で済ませている。
しかしいざとなったら相当な量を食う、大食漢と化す。
以前中華街に行った時、とある店で全メニューを制覇するという偉業を成し遂げている。
そんな訳で大半の戦士達がへたれている中で、まだまだ余裕のある人間の一人であった。
料理の盛られている皿に向かって進んでいたターマの目の前に、突然一つの影が出現し、 その影が不気味な笑いを発した。
「クックック。やはり生き残っていたっスね」
ゆらりとターマの目の前に立ち塞がるのは銀髪の青年。彼は100年目な口調で続ける。
「見たところ現在のトップはターマさんっス。我が野望の最大の障害となるのは・・・」
「御託はいい」
ターマはみなまで言わせずに切って捨てた。
「むしろ俺の方からいずれ挨拶にいこうと思ってたんだがな。丁度手間が省けたようだな」
「それはそれは・・・何にせよお互いにやるべき事は一つのようっスね」
2人は油断なく身構え、慎重に間合いを計りはじめた。が、ここでトレバーは致命的なミスを犯した。
地雷を踏んだのだ。
その地雷は人の形をしており、30分間の料理との激闘の末に力尽きた勇者の一人であった。 名前はマービンで年齢は29歳だ。
トレバーはその腹をモロに踏みつけた。
地雷が炸裂する。絶叫が響き渡る。

兵舎の女性棟は、少なくとも野郎どもの巣よりも小奇麗且つ文明的であった。 ここに住む者達の努力の賜物なのであろう。
マルコはそんな事を考えながら廊下を歩いていた。少し前にはフィオが歩いている。
そういえばフィオの部屋に訪れるのは初めてだな・・・・。
今更ながらその事に気付く。気付いた瞬間にフィオが立ち止まった。
「ここですよ」
そういってフィオはドアを開けてその部屋に入っていった。マルコもそれに続く。
フィオの部屋は意外にも殺風景であった。 フィオの普段の印象からすればもう少しカラフルな部屋を想像してたのだが。
勧められるままに、椅子に座る。・・・そしてマルコは実に今更ながら緊張感してきたのだった。

食堂の惨状言語に尽くし難し。
残り時間が少なくなればなるほど、床に転がる死体の数は増えていき、 今では立っている者の数のほうが少ない。
正に死屍累々という言葉がふさわしい光景だった。
地雷を踏み、致命傷を負った元同僚にきっちりとトドメを刺し、ターマは食の世界に戻っていった。
全身に嫌な汗が噴き出し、油断をすると胃の中身が逆流しそうだ。
床を見苦しく汚すと監視者が医務室に遺体を叩き込み、 失格とされるというシステムである以上、吐くわけにはいかない。
ふとしたはずみで意識が途切れる。外野の声援が遠くに聞こえる。
料理を補充しようとして歩こうとするが、足が震えてのろのろとしか動けない。
動けなくなるとただちに満腹感が襲い掛かり、動くのが更に辛くなるという仕組みだ。
大半の兵士がこのループに引きずり込まれ、道半ばで力尽き、 せめて吐いて失格にならぬように満腹感に抵抗している。
ターマは死体で埋まった道をのろのろと進む。
しかし料理が置かれたテーブルの目の前で、あと一歩というところで、 足を椅子に引っ掛けて転倒してしまった。死体に気を取られて注意力が落ちていたらしい。
もうダメかもしれない・・・そんな考えが頭をよぎったその時。
祈るような目付きでこちらを見つめているエリと目が合った。
その瞬間、ターマの全身に得体の知れない不思議な力が湧き上がった。
気力を振り絞り、立ち上がる。料理の乗った皿を引っ掴む。
「まだだ・・・まだ終わらんよ・・・・!」
そう言い放ったターマの表情はとても男前であった。
タイマーに表示されている制限時間が3分を切る。
ターマは席に戻らずにその場で食った。皿は積み上げないとカウントされない。 危険な賭けだ。その場でとにかく食い続ける。
残り30秒を切った。空にした皿を席に持っていく。これを積み上げなければ・・・・・!!
残り20秒を切る。席は目の前だ。
だが。再び足に何かが引っ掛かった。いや、今度は正確には足首を掴まれた。
トレバーだ。気絶しているのも関わらず、執念の力であくまでターマの妨害をしようとしている。 凄まじい力だ。
指を剥がす事は恐らくできないだろうしそんなことをしている時間も最早ない。
ターマは魂の力で、トレバーを体ごと引きずりながら前進する。
いつもなら苦にならない程度の荷物が今はとてつもなく重い。 席は、積み上げられた皿は目の前だというのに!
残り10秒を切る。がここで再び引っ掛かる。トレバーの右手はターマの足首を掴み、 その左手はテーブルの足を掴んでいる。
何て奴だ。そんなに俺の邪魔をしたいのかこいつは。
だがここで諦める訳にはいかない。トレバーの手に蹴りを入れる。 しかしあまりにもそれは弱々しい。剥がせるはずもない。
残り5秒を切る。ターマは覚悟を決めた。
自分の席に皿を軽く投げた。狙いははずれた、だが席に乗せる事には成功した。
最後の一瞬で、周りを見渡した。この食堂内で自分の皿が一番多いことを知り、勝利を確信した。
湧き上がる達成感、遠ざかる歓声、闇に落ちていく意識、こちらを見つめるエリの黒い瞳・・・。

マルコはフィオの部屋に招待された後、様々な応急処置の方法やマッサージを教えて貰い、 その中で特に有用そうなものをマニュアル化するために部屋で悪戦苦闘している。
その隣の部屋でターマは、今も食い過ぎによる満腹感に苛まされている。明日は仕事だというのに。
フィオは今日も夢を実現させるために勉強している。自由になれるその日を待ちながら。
エリは完全にノーマークだった「第2食堂の怪物」に賭けて大勝利を収め、 給料2ヶ月分という莫大な配当を得た。今はその金の一部を使い、パブで飲んでいる。
その隣の席ではセイヤー少将とフリッツ少将が、言葉を交わすこともなく、 悲哀に満ちた雰囲気を漂わせながら飲んだくれている。 エリは気にならないようだったが、そのあまりもの辛気臭さに何人かの客が出て行ってしまった。 マスターが頭を抱えている。
ソフィア教官とメグ教官は新兵訓練用のマニュアルをまとめ直している。 明日10人ほどと面接しなければならない。教官は忙しいのだ。
医務室ではトレバーが眠っている。時折身を震わせて唸っているのは悪夢を見ているからであろうか。
そして2位との差を10皿近く付けて勝利した今大会の優勝者、 ナディアはまだ食堂にいて大会の余り物を食べている。
食堂のメニューに自分の好物をいくつか追加するという野望を達成し、とても満ち足りた笑顔をしている。

そんな個人の都合などお構いなしに今日も日は沈み、また昇っていく。
今日はいい天気だった。明日もきっと晴れるだろう。




END




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